一冊の本から

二年前の閉店後、このぐらいの時間だったような、

SNSでの最後の投稿を終えて、やめた一日。

一年前はどんな一日だったのか、そう思い、読みながら振り返ることも少なくはない。

三年前から、日記を書くようにしている。

同日、どんな一日だったかをすぐにみられる日記帳だから、一年前、二年前、三年前と、過ぎていった日々を遡ることができるのだ。

三日坊主にならないよう、続けられるようにと、小さい枠のなかに書くだけのちょっとした日記。

今では物足りず、枠以外の余白にも書いてしまうくらい、次から次へと言葉がでてくる。

ひとは、変わるものである。

SNSをやめたことについては、今日に限らず、度々、聞かれることがある。

簡単に、その場ではお伝えするけれど、なかなか一言では伝えきれない内容。

宣伝ツールとして、無料でこれだけ影響力のあるものもそうはない。

だから、やめることへの疑問の声は、とても多かった。

SNSをやめることは、現状に満足しているから、などという慢心からきたものではない。

むしろ、どちらかと言えば、不安な気持ちのほうが大きいくらい。

当時は、Facebookやインスタグラム、公式LINE、ホームページと

様々な媒体での発信をしていた。

移動販売という、ちいさな形からはじめ、少しでも知ってもらえるようにと、その時はせっせこと

情報を探しては、申請をする日々だった。

そういう中でのSNSは、出店者同士での繋がりや、繰り返し来てくれるお客さんとの言葉を交わす場にもなっていた。

、、

そんな日々を六年と重ねた。

ダイレクトメッセージでの感想、コメント、位置情報、

ピロンと、いろんな形での通知がくる。

はじめたころは、その数も少なく、そのやりとりのお陰で救われることも多く、活動を続けることへの励みにもなっていた。

年数を重ねていく中で、その数も次第に増えていき、「数」という、根拠のない自信にもなっていた。

知るひとが多くなることは、とても有難いこと。

けれど、当然、その数が増えれば、その分の言葉も増えてくる。

返しても返しきれず、気が付けば多くの時間を携帯の画面に費やしていた。

でも、その感覚に麻痺している時は、気が付かないもの。

それでも、確実に心は擦り減っていて、あの時は限界なんだったと思う。

コロナのことも過度なくらい、毎日のようにあらゆる情報がとびかい、もうパンク寸前。

そんな時に、お客さんから、一冊の本を手渡された。

「モモ」という本。

時間のたいせつさを教えてくれる物語。

聞くと、有名な本だったので、いかに自分が本との距離をおいていたかと、痛感することにもなった。

今では、なるべく一冊はそばにおいておきたいぐらい、本が身近にある。

ひとは、変われるのだ。

自分の例は、ひとつにすぎなくて、うまく付き合えるひとは、それでいいと思うんです。

合う人が、合う形で使うから、循環するものもあると思うので。

上手に、つき合っていきたいものです。

、、

今日の夕日は、なんだかぞくぞくとした。

なにかが大きく変わる前兆のような、あかい波のようだった。

でも、神秘的で、誘われるように、シャッターをきっていた。