「寺子」と調べると、こう記されていた。
寺子屋に入門した子ども。
江戸時代に普及した、庶民の子どもに読み書きの初等教育を施した所。
鎌倉時代に寺でおこなったのが初めという。
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先日、座談会をしました。
当日の人数は、多くは集まらなかったけれど、実感として、感じることの多い一日でした。
他愛のないことを話す、そういう言葉のやりとりが、今は少なくなっているように感じる。
ひとも、場所も。
インターネットのなかの世界では、広がりをみせていたり、感じるひともいるだろうけれど、
それだけでは、足りないと想う。
ひとと会い、話しをして、感じる。
おとなもこどもも交えて。
すきな時に向かい、そこには誰かがいて、目的がなくても、ただ話しをする。
そして、教えれるひとが、勉強を教えたりして、学ぶことだってできる。
勉強も、生き方も、いろんなことを、そこに行けば知れる。
そんな居場所をつくることを、考えたい。
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昨日、いつものお客さんと話しをしながら、強く想った。
できるひとに、声を掛けて、少しずつ、かたちにしていこうとおもいます。
もし、できる、気になる、というひとが見えましたら、声を掛けてほしいです。
月に一度、そんな感覚でいいです。
少しずつ、段々と増えていき、掲示板には、今日はこのひとがいる。
明日は、あのひとがいる。
そんなふうにして、拠り所になればと想います。
そのまちの、寺子屋として。