珈琲が苦⼿だった僕が、 今は珈琲屋。

はじめまして、春日井で小さな街の珈琲屋を営んでいます。
杉澤洋介と申します。

時々、お客様からこんな些細な悩みを耳にします。

  • コーヒー専門店に入るのはなんだか緊張してしまう
  • コーヒーに詳しくないからどう注文していいかもわからない
  • 苦いのが苦手だからコーヒーが飲めるか心配

その気持ちわかります。だって僕は元々コーヒーが苦手だったから・・

でも、コーヒーにはいろいろな楽しみ方があって、その多様性に惹かれ、今は珈琲屋をしています。

サラリーマン時代

珈琲屋を始めるまでは、メディア関係で働くサラリーマンでした。

日々、いろんな現場に行くことが多く刺激の多い仕事です。

有名な会社の社長さん、個人で経営されている店主さんのお店。

政治、経済、日々の出来事について様々な現場に行き、取材をさせて頂きました。

まだこの時は、珈琲は苦いだけの飲み物と言うイメージが強く、珈琲とは無縁の生活でした。

脱サラし、喫茶店で働く

10代の頃からの夢は地元に喫茶店を開くこと。

家族や友人、地域の人が集まるコミュニティの場をつくれたらという想いを形にする為、

6年間お世話になった会社を退職し、カフェで働き始めました。

カフェでは当り前のようにコーヒーの注文が多く、楽しみ方もそれぞれで

  • 朝一
  • 昼食後
  • おやつと共に
  • 仕事をしながら

など、そこには生活の一部として、コーヒーがありました。

珈琲に興味を持ち始める

将来、お店を始めたらコーヒーは必要だなぁ・・

と少し、コーヒーを意識するようになり色々なコーヒー屋さんを巡りました。

最初の頃、チェーン店を巡っている頃はあまり印象が変わることはなく

「苦いな~・・」

「なんでこんなただ苦いだけの飲み物がおいしいのか・・・」

まるでビールの美味しさが理解できない子供のような感覚でした。

コーヒー専門店での気づき

しばらくはその気持ちが変わることはありませんでしたが、

やっぱり苦手で終わらせたくない!もっとコーヒーを知りたい!という気持ちからコーヒー専門店にも行くようになり、チェーン店にはない光景を見るようになりました。

焙煎される前の生豆、焙煎されたあとのいろんな形や色をしたコーヒー豆

それに、コーヒー豆を挽く様子や抽出する過程など、、

お店によってはその抽出方法も様々で、沢山の驚きを感じました。

次第に店主の方にコーヒーのことを質問したり、

それをきっかけに本を貸してもらえたり、自分自身でもっとコーヒーのことを調べるようになっていきました。

独学で勉強し、道具を揃えて試すうちに少しずつコーヒーが自然と身近に感じるようになりはじめ、

もっと追求していきたいという思いから自分自身もコーヒー専門店で働くことに。

コーヒー専門店で働く

働き始めたコーヒー屋さんは、喫茶はなくコーヒー豆や器具の販売をする、豆屋さん。

店頭では、コーヒー豆や器具のご案内、通販の受注、発送、焙煎、など、触れるもの、すべてが新鮮で、毎日必死に覚えようと頑張りました。

働き始めてすぐに、焙煎人が変わることを知り、焙煎人を引き継ぐ立場になりました。

コーヒー豆を焙煎することはその店の味づくりをすることで、とても大切な役割です。

コーヒーを勉強し始めた僕にはとても 荷が重い大きな出来事でしたが、そのお陰で焙煎の仕組みや味づくりを体で学び、今に繋がっています。

そして僕みたいに、コーヒーは黒くて苦い液体。

そんなふうに思っている方はたくさんいるんじゃないかな・・?

コーヒーは果実であり、多様に楽しみ方があります

コーヒーが苦手だった僕が、コーヒー屋さんになれば元々好きな人だけでなく、

苦手と感じている人にもコーヒーの楽しみ方が提案できるのではと思い、

コーヒー屋さんになることを決意しました。

美容室の軒先でコーヒー屋さんを始める

僕のコーヒー屋さんの原点は、

美容室の軒先でコーヒーを販売するところから始まりました。

19歳の頃から通っている美容師さんに、仕事のことやプライベートの話をしていました。

コーヒー屋さんで働いたことを話していて、漠然と

「お店をしたい」

「自分のコーヒーを試してみたい」

そんなやりとりをしていた時、美容師さんの口から、

「駐車場つかってもいいよ、」

「え、いいんですか?!」

「ほんとにいいんですか?」

いいよ。

びっくりするくらいにあっさりとしていて

それから夢中で準備をし、一か月後の2015年10月10日

美容室の軒先でテントを組み立て、コーヒー屋さんになりました。

最初の頃は美容室の軒先で週末だけコーヒー屋さんをし、徐々にイベントにも出店したりなど

移動販売という形で少しずつ幅を広げていきました。

地元、大治町でお店を開く

29歳と11ヵ月、目標だった30歳直前で、念願だった地元の大治町で実店舗を構える事が出来ました。

お店をつくることはワクワクの連続です。

外装や内装、備品など、選んでいる時間はとてもきらきらした時間で楽しく、

いろいろと見て回り、イメージを膨らませました。

工事が始まり、予算の関係で、一部、自分で仕上げた箇所もありますが、

自分のすきな空間をつくりました。

あの瞬間は今でも忘れません。

移動販売の時に知り合った方やこれまでにお世話になった方

沢山の方に来て頂き、日々、学びでした。

お店を構えることが夢で、それが叶い、

祝福の言葉もたくさん頂き、嬉しい気持ちで一杯に。

実際はそこからが本番で、試行錯誤の毎日です。

店舗を続けることがこんなにも大変なんだと実感する日々。

約2年で勝川に移転することに

そして環境の変化の中、この場所でお店を継続することが段々と難しくなり

2019年12月8日、地元での最後の営業日を迎えました。

たった2年ですが、よくやったな、

なんて思った時もあります。

丁寧な仕事をし

人を大切に、

これだけは一生変わらない、僕の大切な想いです。

最後の日は今までに感じたことのない多くの方に来て頂き

用意していたイスでは足りず、立ちで飲む人ばかり

お店一杯をお客様で埋め尽くす、幸せな時間でした。

人の繫りから、新たな場所で

2019年12月、大治町から春日井市に移り、再スタートをしました。

新しい環境に変わり、委託作家さんの商品が並ぶ店内の中で、コーヒーを提供することになりました。

この空間の中でどうコーヒーを伝えていくのか考えながらのスタート。

大治町を離れる時、オープン当初から通って下さるお客様から

「なかなか勝川までは通うのは難しいから、コーヒーを定期的に送ってもらうことはできない?」とお話を聞きました。

通販での販売もしていましたが、毎回注文するのは面倒とのことで定期的に送るサービスを考えたのですが、なかなか納得いく内容のものができず、移転までには間に合いませんでした。

生活様式の変化、おうち時間の楽しみ方

そして、新型コロナウィルスをきっかけに生活様式が大きく変化し、仕事の在り方にも影響が出てきました。

この頃から、コーヒー豆の配達のお話が増え、一方で、店内は少しずつ人の足が遠のき始めました。

コロナを身近に感じる情報が段々と加速する中、

「コーヒーが唯一の幸せな時間だよ」

「在宅勤務に変わり、家でのコーヒー時間が増えたから」

など嬉しい言葉をたくさん頂くようにもなりました。

2020年4月、僕自身、一番とも言える大事にしていた、店内での飲食を一時的に辞めることに。

不確定な情報が飛び交う中、なにが正しい情報かも分からなく国の言う、感染拡大を減らす対策として、自粛することを決めました。

生活様式が大きく変化し、おうち時間、という言葉も生まれ

自宅での時間を豊かにする生活に変わり始めていきました。

仕事の仕方を変えていこう。

そう思うように、自分自身も変わる事を意識するようになっていきました。

ポライト定期便を始める

自宅で過ごす時間をより豊かに、コーヒー豆をただ送るだけではなく

そこに人の温かみを感じるような手仕事を加え、

会えなくても、少しでも人の繋がりを感じる気遣いをお届けできればなと思うようになり、

改めて、コーヒー豆の定期便を考えるきっかけになりました。

ただ、美味しいコーヒー豆が送られてくる、だけでなく

コーヒーが苦手だったからこそ、その人の気持ちを考えて提案し

人との繋がりを大事にしたいから、コーヒーと一緒にほっと笑顔になれるような

そんな気遣いと共に、お届けできたらな、と。

新しい居場所

春日井市に移ること1年。
いろんな方の後押しや応援があり、無事に重ねることができました。

間借りという形での仕事は、とても新鮮で
多くの学びの時間でした。

そして、またいちから築こう、という気持ちにもさせていただき
2021年2月、巡り巡って、古民家の物件と出会い
新しい居場所にすることを決めました。

平屋の昔ながらの建物です。
築年数が50年ということもあり、明確な定義はないものの
「古民家」という呼び方ができるそうです。

外観はほとんどそのまま。
おじいちゃんの家に帰ってきたような
そんな雰囲気のある、どこか懐かしい場所です。

この2年間、場所を点々としました。
今の仕事を継続することができたのも、これまでのお客様に助けて頂けたことが大きく
とてもありがたく思います。

新しい居場所では、ゆっくりと流れる時間を楽しんでいただく。
そんな空間と、珈琲の時間をお届けいたします。