先日、自分と同じように、飲食をなりわいとするひとたちとの時間を過ごした。
それぞれに想いをいだき、志を高くもつもの同士のやりとりというのは、こころに届くものがある。
僕は、そのなかではまだまだ人生経験の浅い立ち位置にいる。
ひとが多くいる場合は、消極的になってしまう自分。
だから、今回もぐいぐいと、自ら話しをつくることも、入ることもあまりすることはなかった。
その点、耳はしっかりと声のある方へと傾き、会話を聞いていた。
自分以外の商売をするひとたちの話しというのは、聞いていて感じることが多い。
ひとりで営む人、夫婦で営む人、従業員をかかえて営む人。
他にも形はあり、それぞれに、知ることも感じることもある。
自分と違う考え方というのは、実に興味深く、学ぶことも多い。
今回も、そんなひと時だった。
ひとの経験話を聞いていて、ふと思うことがある。
「あ、自分もそんな時があったな」と。
その時の自分を超えて、いまの自分がある。
そう感じる時は、なんだか懐かしい気持ちになる。
そして、「頑張ったなぁ」と振り返るようなことにもなる。
まだまだ、そういった壁に当たることは、今後も尽きないであろう。
人生は、そんな繰り返しなのだから。
ひとは、そうして、少しずつ懐を広くも深くもしていくのであろう。
、、
縁をいただき、そういった場に伺うことはたまにある。
そうした時、ほとんど、話せずに終えることも何度もあった。
以前は、そういう時に、「僕は、この場にいていいのか」と、考えてしまう時もあった。
「僕は、必要なのか」と。
考え方は、ひとそれぞれだし、自由である。
得るものも、学ぶものもなくてもいい。
ただ、楽しかった、という想いがあれば、それでいいのかもしれない。
僕は、想う。
商売に限らず、何事にも言えることとおもうが、
【待つ】ということ。
これができるひとは、本当にすごい。
僕は、そういうひとになれるよう、日々、向き合いたいとおもう。
