日々のこと

クチコミ、のこと

いまでは、誰もがひとつの基準として受け入れている、口コミ。

その影響は、良くも悪くも、おおきい。

でも、冷静に考えたら、なぜ、一個人に評価されないといけないのか、

そして、それが評価として、表されるのか。

不思議でならない。

珈琲の話しで言うと、評価をするひとは、試験という形で評価され、それを通過したひとが

審査員として選出される。

まだ、その方が、客観性はある。

一定の基準の上で、判断されるから。

それでも、個人の主観というものは、おおいにあると思っている。

主観は偏見を生む。

でも、ひとが一人ひとり違うのだから、それは自然なものである。

なにがいいたいかというと、くちこみは偏見的なもので、その偏ったみかたで

店のひとを責めるのはやめてほしい。

先日、たいせつなひとの店に、そのような口コミが投稿され、憤りを感じた。

そのひとを知っているからこそ、悲しく、心配した。

幸い、周りの人が救いの言葉を掛けてくれたり、店が忙しくなったりと、

考える時間を作らないようにしてくれたから、「悩み」というのは最小限にとどめられたのかな、

と、ほっとした。

口コミは、場合によっては、そのひとを狂わせてしまうほど、強く、言葉の暴力だと思う。

過去にも、知り合いのひとがそういう状況に合っていて、胸が締め付けられるような思いになった。

口コミをする本人は、素性も知られず、言いたいことを言う。

そして、店は評価され、なにも知らない人は、その評価で店を判断する。

そんなおかしなことが、当たり前に行われていることに、今回はさすがに、感情が溢れてしまった。

、、

口コミが悪いとはいいません。

その恩恵を受けていることも、また、事実なので。

でも、いいお店だと感じたら、通ったり、ひとに紹介して、伝えてあげてほしい。

合わないな、と感じたら、その時は、店のひとが体調が悪かったり、状況が良くなかったのかな、

とか、自分とは合わなかった、て、それでよくないですか。

責める口コミをして、誰がいいおもいをするのか。

、、

朝から、強い内容になってしまいました。

伝えようか、やめようか、考えた結果、やっぱり伝えようとおもった。

口コミで苦しむひとが少しでも減るといいな、と思います。