月のはじまり

さくらを見て、心躍る季節。

春の暖かさに誘われ、外へとふわっと足が向く。

気持ちのいいとき。

花粉の影響を感じ、鼻はむずむず。

それでも、やっぱり春の空気に心が躍るのだ。

四月を迎えるまでも、迎えた今日も、こころはそわそわとしている。

その理由は、価格の値上げである。

今日は、ちょっと踏み込んだ話しをしたいと思います。

これまでは、店の事情であるから、伝えるべきことではないと感じていました。

でも、時代は変化していて、ひとの価値観も大きく変わろうとしています。

ひとによっては、もう既に変わっているひともいると思います。

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店は、わかりやすい原材料と、わかりにくい原材料で成り立っています。

わかりやすい原材料というのは、飲食店であれば、主である、食材です。

その金額は、小さい規模であればあるほど、高くなります。

その差をわかりやすく表すのなら、大手チェーンと個人での価格差になります。

たくさん買えば、その分、価格を抑えることができる。

言葉で伝えるだけであれば、とてもシンプルなこと。

大手チェーン店、個人店、それぞれに良さがあるからこそ、どちらがいいとか、そういう話しではありません。

ひとつの事実として、そういう仕組みで成り立つものだから、違いがある。

そして、それはほんの一部分であるんです。

わかりにくい原材料は、というと、繰り返し飲食店での例えにはなりますが、

空間を保ち、整えること。

そこにはひとによる手仕事や、気配りなんかも、加えてほしいと思います。

いろんな店の形があるから、すべてがそれに当てはまるわけではありません。

自分の営む形が飲食だから、そういう見方になるのです。

業種が違えば、きっと違う角度からの原材料もみえてくるものだと思います。

いまは、あらゆるものの価格が上がり、さきの見通しがつきません。

だから、変則的な形にならざるをえません。

今回は、自分のなかでも、思い切った判断になったと思います。

一部、ももさんとも話し、計算して出しましたが、これまでの自分のあまさを痛感する結果となりました。

さきのことは正直、なんともいえませんが、店を続けていくには、今回の判断に覚悟が必要だと、強く感じました。

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過去に一度、地元で開いた店を閉じました。

店は、自分の意志ではじめ、開くものです。

だから、はじめるのも閉めるのも、自分の意志でいい。

そんな見方もできます。

でも、そこを居場所だと感じてくれるひとが生まれたのなら、もう自分だけのものではない。

そんな見方もできます。

自分の意志ではじめたことだけれど、大事に想ってくれるひとがいるのなら、そのひとたちの為にも、

続けれるように、頑張る必要があるんだと、そんなふうに思うようになりました。

そんなことを言うと、偽善にも聞こえますが、一番は、自分が楽しんでいて、続けたいから。

結局は、自分の意志なんですけどね。

でも、大事に想ってくれるひとがいるから、その想いが活力になる。

それは大きいようにおもうんです。

価格というのは、生活に直結するところなので、覚悟のいる判断になりました。

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「ひさしぶりにゆっくりと過ごすことができました」

今日、そんな言葉を掛けてくれる女性がいました。

その言葉が嬉しく、「よかった」と思いました。

数を追う仕事はできないけれど、来るひとが安心して過ごせる。

そんな空間をお届けできるように、気を配りたいと想うのです。

長くなりましたが、読んで下さり、ありがとうございます。

四月というときも、

いい日々になりますように。